私はこんなことを考えている

日々の生活で障害になったことを消化するブログ。考えたことや学んだことの備忘録としても活用していくつもりです。

自分の得手不得手

こんばんは。スマホはてなブログのアプリを入れたので、枕元で入力しています。

みなさんは、自分の得手不得手ってわかりますか。私は、よくわかりません。先輩はよく自分を分析していてわかっているみたいなので、不思議です。

高校生までずっと、いろいろと脳内で考えを巡らせていました。それは、悩みについてや、それに対する呪詛が多かった気がします。
いろいろ考えてきたはずなのに、自分のことはよくわかりません。

私が言われるキーワードとしては、

真面目、面白い、コミュ力がある、決断力がある、完璧主義、短気、行動力がある、向上心がある、ルーズである、言葉がきつい、頭が良い

みたいな感じです。
どれも、何となく言われる所以がわかります。でも、自分の行動と照らし合わせると、良い面は悪い面にすり変わり、悪い面は更に悪い面に思えます。

頭が良いということ、とりわけ私は国語がよくできると思ってた/思われていました。
私は、本をなかなか早いスピードで、長い間読むことが出来ます。また、その本の読み解き、考察をすることも好きです。ここまでは、自他共に良いと思える部分です。
でも、その考えを、文にするのが下手くそです。論理だてて、わかりやすく書くのが苦手です。そういえば、読書感想文は下手くそだと母に言われた記憶があります。あと、小論文検定はいつもいまいちな点数でした。国語が得意だと思うわりに、70点くらいの微妙な点数でした。
国語が好きでも、考えを文にする力、考えの具現化は不得手です。文もですが、発表も同じ。ゼミの場で発表する、など堅苦しい場だと上手く喋れなくなります。おしゃべりとは違い、説明や論理性が求められると、論理に適した言葉が選べなくて、わかりにくくなる、伝えられなくなります。
私は、おしゃべりに適した言葉は持っているけれど、説明や論文の言葉を持っていないのだと思います。それは、私がそういう本を読んでおらず、知らなくて使えないからです。

こういうふうに、頭が良い、というワードを小分けして、得手不得手を見つけることをしてきませんでした。他人からのバラバラの評価を、そのまま受け取っているので、相反する評価を抱え込んで性格に二面性がでたり、ギャップに苦しんだりしているのだと思います。
もっと、小分けできれば、嫌なものを避けたり、楽に生活できたり、するんじゃないかなぁ、と思います。