私はこんなことを考えている

日々の生活で障害になったことを消化するブログ。考えたことや学んだことの備忘録としても活用していくつもりです。

よくわからない悲しさと苛立ち

こんにちは。大阪から帰ってきて調子が上がりません。

思ったよりできて、「合格するかも」と慢心しているのです。

そして、せまるゼミ合宿のために卒論を書かなくてはいけなくて、それがいやでいやで避けています。

卒論を書く前に、インタビューを書き起こししなくてはなりません。1つに5~6時間かかります。

時間がかかって単調で、疲れるし、何より拙い自分のインタビューを聴くのが嫌です。

勉強よりずっとずっとやりたくなくて、勉強するだけのほうが楽で…。ただ、書き起こしをするだけなのに、やる前から悲しくていらだっています。

そして、やらないので進みません。やらなければ卒論は進みません。

きっと、書き起こしを見て先生は「拙い」といって笑うでしょう。それが嫌です。先生にダメなところは見せたくありません。

書き起こしをすると、自分だけの作業ではなくて、インタビューを受けて頂いた方、先生のことを思い出されて他の人のことまで考えなくてはならないので、重荷が増えるようで見られているようで悲しくなります。

今は自分の事だけを考えていたいのに。この悲しさを超えるような、私が書き起こしを出来るようになる説明が、見つかりません。

「卒論の完成には必要だから」というのは、わかります。でも、それよりもこの拙いテープを聴くのが悲しくて辛いです。無理してやらなくてもいい、というわけにはいきません。

最近、ずーっと悲しくていらだっています。カラオケや本屋に行きたいのかとも思いましたけど、たぶん違います。やりたくなくて、それが避けられなくて悲しい。遠くに逃げてしまいたいのに、ずっとずっとついてきます。本を読んでも、ドライブをしても、ケーキを食べていても、ついてきます。

 

少しやれば変わるかもしれません。少し出来たら、自分にごほうびをあげてもいいかもしれません。

心のコップの水があふれて泣いてしまいそうです。

なぜ、こんなに避けて嫌なんでしょう。うまく説明できません。いつも後回しにして、こんな風に追い詰めてしまう自分が嫌です。