私はこんなことを考えている

日々の生活で障害になったことを消化するブログ。考えたことや学んだことの備忘録としても活用していくつもりです。

裕福であることのコンプレックス

こんばんは。唐突ですが、私の家庭は裕福です。富裕層、とは言えないと思うのですが、お金に困ったことがありません。

 

小~高は、誕生日・クリスマス・お正月をかかしたことはありません。高校時代、お小遣いも5000円くらいもらっていたと思います。

大学も奨学金なしで、仕送りもしてもらい、携帯代も払ったことがありません。大学院でも奨学金はもらわない予定です。

高校が進学校だったこともあって、来ている生徒は私と同じくらい裕福な家庭も多く、貧困を実感したことはありませんでした。

でも、国公立大学に入ると、いかに私が恵まれているかが実感しました。私にとって、好きな時に外食し、好きな新作ゲームや服を買うことは、普通のことでした。

けれども、私の友人はそうではありません。とても倹約していると思います。バイトをしてお金を稼げばいいと思うかもしれないですが、みんなメンタルが強くないので、大変なバイトは避けています。そうなると倹約して、生活するしかないのですが、それがすごいなあと思います。というより、すごい、というより不思議な感じです。

 

私は18年、お金に困らず生活してきました。なので、お金の使い方がわかりません。一度、残高がすっからかんになったことがあったのですが、「お願いしてもらおうか」ぐらいにしか危機感がありませんでした。そう先輩に話したら、「万が一病気になったらどうするんだ」と言われ、はっとしました。

うちの母は計画的な人なので、たとえ急逝しても私たちが困らない程度には貯金をしているでしょう。あいまいなのは、聴いたことがないからです。私が、両親の年収を知ったのもほんの先日です。

子どものころから、何もお金について知りませんでした。それに疑問をもたないぐらい裕福で、母が管理していました。

倹約家の友人たちを見ていると、無知なくせにどうしてこんなに恵まれているのだろう、と自分を責めてしまいます。

確かに、その富を享受していてもいいのかもしれません。でも、いずれ私も独り立ちします。そのとき、今のままだと、私は確実に破たんしそうだと思うのです。それが怖い、たまらなく怖いです。

恵まれているから、そうなったとき、無心をすれば両親は送金してくれるでしょう。でも、いつそれが終わりが来るかわかりません。社会学を学んで、「金の切れ目は縁の切れ目」を少しは体得したつもりです。

 

最近そんな恐怖を覚えて、少し倹約しています。小さなことからですけど、「ペットボトルを買わない」「外食しない」を実践しています。ペットボトルは最近サボっていますね。ゴミがどんどん出てしまうので、これもよくない。

欲しいものはもちろん欲しいので、貯金をしながら欲しいものを買う、を身に着けたいと思っています。

ただ、買わないとすぐになくなってしまうもの(私の場合同人誌)は、最低限買って、欲しいけど逃げないもの(ゲームやマンガなど)は、余裕が出来たら買えばいいのかな・・・、とブログ書きながら思いました。

 

なんか、そういう当たり前のこととかが、全然わからないのですよね。お金に関してもですけど、モノの考え方とかが、全然わからない。いつかかけたらよいのですが、18まで母の管理下にいて自立したことがないので、経験が圧倒的に足りないんです。

わからないので、勉強したり、周りから学ぶことが多いです。「こういうことなんだね!」というと、「え、いまさら?」とよく言われます。そのたびに、「えっ、なんでみんな知ってるの・・・」と驚きます。

大学院に行くので、そういうことも含め、人間力?をのんびりとつけていけたらな~と思っています。