悲しみに支配されていました
おはようございます。夜のウォーキングで書き起こしについて母と話しました。
「へたくそで恥ずかしくて悲しくて辛くなってやめてしまう」と言ったら、
「書き起こししているときは考える必要なんてない」と言われて、
あっ、と思いました。
書き起こしの作業ではそれらの感情と向き合わないといけないと思っていて、直視すればするほど悲しみにあふれていました。
でも、いろいろ考えたり取捨選択したりするのは、分析段階ですればよい、というのに気づきました。
それに気付かなくて、半年ほどデータをそのままにして、逃げて逃げて卒論が全然出来ていませんでした。
これが終わらないと次の調査にも行けませんし、文章も書くことが出来ません。
「何も考えなくてよい」というのは何て楽なことなんでしょう。
おかげで、昨日の夜は1人分完成させることが出来ました。
始めは感情を殺すことができるのか、と心配でしたが、きちんと自分を納得させる説明に出会えたので、勝手に体が動きました。
今回学んだのは、「感情を動員させなくてもいい仕事とそうでない仕事がある」と言うことです。
書き起こしのような事務作業に感情はいりません。ただマシンのように手を動かす。
ただ、考えたり、調査をしたりするときは、共感する気持ちなどを持ってもよい。
これからの作業は、なーんにも考えなくていい。卒論の出来や、入試の事、先生のことも、なにも考えなくていい。
終わったら、ケーキとヴァルキリープロファイル実況プレイの続きが待っています。
そして今日は美しい秋晴れで、緑色の小麦が光っています。隣の牧場で牛が草を食んでいます。
とてもいい日な気がします。それでは、また。