私はこんなことを考えている

日々の生活で障害になったことを消化するブログ。考えたことや学んだことの備忘録としても活用していくつもりです。

二重人格について書いてみます

こんにちは。ちょっと暇ができたので、二重人格について書きたいと思います。

私は高校生の頃、『自分は二重人格ではないのか』と思っていました。そしてそれが苦しく辛かったです。

思っていることと、口に出すことがあまりにも違う。二重人格と言わないまでも、「性格に裏表がある」と思っていました。

私はもともと笑い上戸です。でも、クラスの男子が面白いことを言っても、絶対に笑うもんかと思っていました。内心は本当に面白くて、あとで部活内で報告するくせに、その場では絶対に笑うまいとしていました。

これはあまり生活に支障がない例ですが、他人と会話するうえで困ることは多くありました。頭の中の私が、私を制して自由にしてくれない。言いたいことが言えず、言いたくないことを言ってしまう。

 

大学生になって、ミードの「I」と「me」の講義を受けました。

「me(客我)」とは、社会的な期待通りに振舞おうとする社会人としての自我であり、良心とも言われるような、内面化された社会規範のこと。

「I(主我)」とは、自己の内発的な反応であり、客我に対して独自の反応を示し、個性的な修正を加えることで、その人らしさを作り出す。

客我は、その主我の反応を検閲することによって、自我に社会的な適応を促す。

 

えーっと、先ほどの例でいきますと、

I『おもしろい!私も笑いたい!』

me『私に期待されているキャラ的に、男子のいう事で笑ってはいけないよ』

I『え~』

と、言う感じですかね?meのツッコみにいつも負けてしまって、Iは好きに行動することが出来ない。meが勝るべき時はもちろんありますけど、いつも勝っていては疲れてしまいます。『私ってなんなんだろう』みたいな状態になってしまう。

 

病気で定義されている二重人格は全く素人ですけど、一般的な「裏表がある」というのはこういうことかな、と理解しています。

初めてこれを知ったときは、『え!?みんなも裏表があるの?私だけじゃないの?』とものすごくビックリして、「裏表がある」ということについて理論的に納得がいきました。

 

だから、自分の中で葛藤が起こるとき、Iとmeがケンカしているときは、ある基準をもとにしてどちらかの意見を採用します。

私の基準は、「私が幸せでいれるかどうか」で判断しています。

この間は、「バイトの採用通知を受けるか/蹴るか」で葛藤しました。

meは「一度受けたものは最後までやり抜け」と言ってきたんですけど、Iが「残りの半年をバイトで辛いものにしたくない」と言ってきたので、そちらを採用して、バイトはお断りしました。

 

二重人格について書きます、と言っておきながら、あまり書いていないような気もしますが、今日はここまで。こういう勉強の話は好きなので、ときどき書いていきたいと思います。